「わざわざ予定を変更して、手伝ってあげたのに、お礼の一言もないなんて失礼なんじゃない!?」
「自分のやりたいことを我慢して、サポートしてあげたのに、何でこんなことするの!?」
「ギブ&テイクが当たり前でしょう!?」
はじめは純粋に相手の喜ぶ顔が見たいから、助けたいから、と相手のことだけを思って行動したつもりが、いつの間にか自分の行いに対する見返りを求めてしまったことはありませんか?
あなたは見返りを求めて相手の反応・対応・返事を待つ間には、どんな感情が起こりますか?
おそらく、落胆・失望・怒り・イライラなどのネガティブな感情が沸きおこることが多いと思います。
なぜなら、
相手に「与えること」までが、自分の仕事
相手から「受け取ること」=相手が「私」に「与えること」は、相手の仕事
だからです。
相手に「与えること」までが自分でコントロールできることであり、相手から「受け取ること」は私たちにはコントロールできないことなのです。コントロールできないことを、コントロールしようとするからストレスが溜まるのです。
見返りを求めないということは、『相手の仕事=相手が「私」に「与えること」』は相手に任せ、
自分は『自分の仕事=相手に「与えること」』に意識を向けることです。私たちは、他人の人生を生きることはできません。自分の人生の舵だけを握ることができるのです。
今、この瞬間に 自分ができること、コントロールできることに意識を向けて行動することで 、何が起こるのか?
相手からの感謝や労いを待つまでもなく、自分自身で「自信」や「内なる力」「喜び」を生み出すことができます。
『見返り=相手が「私」に「与えること」』 が、自分自身で生み出す「自信」「内なる力」「喜び」などには到底かなわないことに気づかれるでしょう。
ですが、時には相手が自分の期待に反することをしたり、無関心だったりしたときには、ネガティブなことを言いたくなる時もあるでしょう。
そんな時は、一呼吸ついて、「なぜ、その行動がとりたかったのだろう?相手の笑顔が見たかったから?なぜ笑顔がみたかったの?相手のため?それとも自分が一緒に笑顔になりたいから?サポートしたかったから?なぜサポートしたかったの?相手のため?それとも自分がサポートをすることを通して人として成長したいから?」など、行動の動機を見つめなおしてみることも必要です。あなたの人としての在りたい姿もみえてくるかもしれませんよ。